2012年04月01日

一般社団法人としてスタート

社団法人の法的位置づけの改正により、社団法人中小企業診断士協会愛媛県支部は一般社団法人愛媛県中小企業診断士協会として2012年4月2日スタート致します。

活動内容には変化がありませんが、新組織化に伴い会員一同気持ちを一新してこれまで以上の質の活動をご提供する所存です。

どうかよろしくお願い致します。
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2011年10月24日

3週連続ベストセラー

私の本「気づきの智慧」(アトラス出版)が、ジュンク堂松山店にて、ベストセラー1位を3週キープできた。もちろん、紀伊国屋や明屋書店でも売れ行きは好調だ。
お蔭様で、読者から感想の投書がメールで届き始めた。「お守り代わりに、いつも大切に持ち歩いています。何か問題があれば、その問題を解き明かすページがあったはずと、本をめくって探しています」と、この類の感想が3通きている。いずれも女性である。
そして、殆ど全員の方から指摘頂いたのが、「場面展開が早くて凄く読みやすい。あっという間に、全頁読んでしまいました」というもの。
「松山空港の売店」や「JR四国の松山駅キヨスク」にも置かれているため、県外の旅行客からもメールを頂いた。「飛行機に乗っている間が凄く短く感じました。帰って後に、一気に読み上げたのですが、自分の仕事の取り組み姿勢に対する甘さを反省できました。この本に巡り会えて、目が覚めた感じです」と。

東矢憲二
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2010年08月03日

ボトルネック

ボトルネック、文字通り 瓶の首 ということですが
そこだけ細くなっているという事に関連付けて

一連の作業(や工程)があるときに
ある特定の作業部分だけ 「細くなって」いて、
つまり、処理が滞ってしまっている
という事を意味することがあります。


昨日、神戸で勉強会があり、
お昼に近くのうどん屋さんで食事をしたのですが、長蛇の列で、

でもそこはさすが ジャパニーズファーストフード、
まあそれなりに列が短くなるので、
皆で行ったという面もあり、一応ガマンして列で待ってはいましたが

ふと気づくと、店内の座席は3割くらいが空きとなっていました。

つまり、もっとキチンと行列を捌けば
店内にもっとお客を呼び込めるということ。

どこがボトルネックかと思ってみていたら
レジ(計算)のところでした。

レジを2つに増やせばボトルネックは解消し、
満席までにならなくても(つまり3割の空きが全部埋まらないとしても)
お昼の売上は少なくとも2割はアップすると思われました。

列に並んでから席に座るまで約15分。
食べるのはほんの3分くらいです。


さて、私の注文は
かまたま明太子のせ(温めん、です) だったのですが

うどんを渡されてレジまでの時間がながかったので
(といっても2〜3分くらいだけど)
たま(玉子) の ねっとりうどんにからんだのが ウリ のかまたまなのに
うどんの余熱ですっかりゆで卵状態。
せっかくの かまたまの ウリ を台無しにしていました。

こういうのをみると
店長やら経営者やらの目配りの悪さをおもわざるを得ません。

経営コンサルタントという職業柄ついつい
頼まれもしないのにこういう検討をしてしまうわけですが

経営はほんのちょっとした目配りで
大きな結果の違いを生むこともある
ということのいい例だろうと思いました。

−by くろヒゲ−
posted by しんあい at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 会員投稿

2010年05月22日

香川県支部と愛媛県支部との合同研修

??.jpg会場前に日本丸がいました。

会場から即時更新しました。


iPhoneからの送信です。
posted by しんあい at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 会員投稿

2010年01月26日

金は天下の回りもの

「金は天下の回りもの」

広辞苑によると、

『金銭は一人の所にとどまってはいない。貧富は固定したものではない。
「金は天下の回り持ち」とも。』

とある。

個人的には、
お金は使ってもいつか返ってくる。
使いどころを間違えるな。
と理解していた。

具体的にいうと、
友達付き合いにゼニ惜しみをするな。
勉強の投資に金を惜しむな。
というような理解をしていた。

さて、今日、ふと思ったのだが、

我々の貯金。
これは表向きは回ってないが、
銀行などに預けているとそれが投資資金に使われて
実は「天下の回りもの」としての役割を果たしていた。

それが、昨今、「投資先」とやらにこまり

(つまりは、簡単にゼニもうけができそうな
 投資先という「夢の存在(?)」がなくなり、
 夢の替わりに必要な知恵もなく…)

金が回らなくなったのがこの不況のようである。

いま民主党のいっている「個人に金を回す」というのは、
投資で回らないのなら「個人消費」という形で回すなら
経済はもっと好転するという事だろう。

そんなに簡単なモノなのか、とはちと思うが
理屈の上からは合っているようにも思う。

今話題の鳩山首相家の金の回り方からすればまことに知れたものだが
自分の日々の暮らしからみればそれなりにまとまった額ではある、
親の残してくれたものに接して、そう思った次第ではある。

質素を生き様としていたのはわかるが
もっと自分のために使ってくれればよかったのに…。
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2009年01月14日

良いものを安く

「良いものを安く」という概念は
日本では当たり前のように受け入れられている
ように思われます。

ただ、どうもこれは間違いではないのかと、
最近の貧富の格差の二極化を見るにつけても
思うようになりました。

良いものを安く売るというのは売りやすい。
買う側もありがたい。

ただ、売る側からすると
良いものを作る努力を安売りしすぎている可能性がある。

良いものを安く売っている間は
本当の豊かさは得られないのではないでしょうか。

昔は、といってもそれほどの昔ではありませんが
「いいものは高い」という考えの方がむしろ一般的
ではなかったかと思います。

本当に良いものを手に入れて、それを大切に使う
そうして、修理が必要になったら修理をして長く使う。
良いものでなければ長く使えない。

という考え方ですでした。

和服、漆器、家具、家などもそうでしょう。



「良いものを安く」という事で
本当に良いものも安く売らないと売れなくなって
日本の伝統工芸はずいぶんと廃れてきたのではないでしょうか。

伝統工芸は、基本的に職人さんの手作業です。
この人たちの生活がなりゆかなくなってしまった。
それが最近の経済格差の一因でもあるのではないか。

現代では
マスプロダクションによって、ある程度の品質のものが
安く効率的に作れるようになり、
今後ますます物を作るのに人は要らなくなってきます。

つまり、人でしかできない作業を増やさない限り
失業者は増えるのではないか。

「ロボット」の登場は西洋では歓迎されないイメージであったのは
人の職を奪うという側面に目がいっていたからですが、
それがここへ来て無視できない側面となってきている。

修理はきわめて人間的な作業です。
個々の状況に応じた対応が必要であり、熟練が要る。
職人さんへの敬意が自然に出てくるし、
バラエティのある職が用意できることで
個々人の興味の違いにも多様な選択肢が用意できる
と思います。



無論、「安かろう悪かろう」では困ります。

「安くても良い物」をつくるということは
日本の工業の強みということでこれからも維持しなくてはならない。

しかし、それと対をなす物として
「良い物は高い」という価値感を
もっともっと大切にする必要があります。

今の日本では、「高いから良い物だろう」という考えは
未だに心のどこかにあるようで、
これがゆえに却ってだまされたりもします。

「良い物は高い」というのは表現が逆なだけのようですが
頭の使い方では「高いから良い物だろう」というのとは
天地ほどのひらきがあります。
どこまで高く買ってもいいのかという判断には
ある種、「芸術品、骨董品のめきき」の能力知識が必要なのであり、
高い文化性が問われると言ってもいい。

買う側は「良い物を安く」買う意識を捨てる必要はありません。

しかし、売る側は、また国民としての文化的価値観としては
「良い物は高い」という事をもっと大事にする必要がある。

そう思います。
posted by しんあい at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 会員投稿

2008年12月21日

高校駅伝とマネジメント

今年の高校駅伝は、1区での外国人選手の起用ができなくなり
男女ともに見所の多い接戦が展開されたようにおもいます。

こういうちょっとしたルールの変更で、
ガラっと様相が変わることがあるのを
マネジメントにたずさわっている人間はしっかりと認識
しておく必要があると思いました。

ほんのちょっとしたことで
こういうイベントも会社の運営も改善できることがある。
そのチャンスを逃さないようにしたいものです。
posted by しんあい at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 会員投稿

2008年12月12日

寿司屋のお弁当

Image049.jpg写真のお弁当は500円です。

無料の経営相談窓口を担当している日に、
事務所からさほど離れていないスーパーの
入口近くにお店を構えている寿司屋さんから購入。

実はスーパー内でも握り寿司を売っていますが
530円でした。

写真のものの方が、値段も安いし、オイシイ。
ちょっと待たされるのですが、その場作ってくれる。ネタの良さはさすがでした。お醤油もちょっと違う。

スーパーのお寿司は冷蔵されていますので冷たいのも難でしたが。これは温度も適度。さすがに餅は餅屋ということです。

でも、売れてなさそうでした。

いい商品を持っていても、さらに売り方の工夫がないと事業が伸びていかない。

個人事業主の人も、もっと経営相談を利用して課題克服していって欲しいものです。
posted by しんあい at 20:19| Comment(6) | TrackBack(0) | 会員投稿

2008年11月29日

ダイヤは永遠の輝き

「ダイヤは永遠の輝き」というのは、
世界最大のダイヤモンド産業「デビアス」の仕掛けたキャッチコピーらしい。

結婚といえばダイヤの指輪というイメージの刷り込みに絶大な威力を発揮した。

映画にも積極的に自社の商品を提供した。
マリリンモンローに「ダイヤは女の一番の友達」と映画で歌わせたり
「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘップバーンもイメージ戦略の一環。

つまるところ、ダイヤそのものが
「人為的に作られた価値」 であるということ。

一番硬い物質として工業的な用途・価値はあるものの、
宝飾品としての値段は よく考えればまったく理解の枠を超える。

ようするに単なる「石」なんだし。

生きていくうえでなんらの必然性はない。
欲望を満たすという一点を除いて…、ではあるが。

人間が価値を与え、人間が欲望を生み出し
まさに一番人間くさい商品であるようだ。
ある種、ダイヤモンドビジネスは
「ベストセラー小説」のようなものなのかもしれない。

(by くろヒゲ・Knight)
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以上は以下の番組を見てのお話。
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=800&date=2008-11-29&ch=11&eid=33812
BS世界のドキュメンタリー シリーズ アフリカ
「ダイヤモンド・ロード」(前編)
BS1 放送日 :2008年11月29日(土)
放送時間 :午前10:10〜午前11:00(50分)

−格差を生む魅惑の輝き− 〜2007年 カナダ ケンジントンコミュニケーションズ制作〜
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ニューヨークのオークションでは、“ちっぽけな”宝飾ダイヤモンドに数百万ドルの値がつく。片や、産地のシエラレオネでは、ダイヤ堀りたちが朝から晩まで泥にまみれて、日給わずか数ドルに甘んじている。これほど流通の過程で価値が変わり、携わる人々の境遇が異なるのは、ダイヤモンド産業をおいてほかにはない。シリーズ前編では、ダイヤの輝きが生み出す格差の実態を浮き彫りにする。
posted by しんあい at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 会員投稿

2008年05月08日

中庸という事

中庸というのは、個人的には「バランス」と理解しています。

これは、私の理解する限り、孔子の言われる事の骨格をなす事の一つです。
実務的には、これは、極論を吐くなということであり、
あるいは多面的なものの見方をせよということです。

自分の主張が100%正しいとは思うなといってもよろしい。


これは、「何事も誤りのないことはない。『何事も誤りはない』という事も
含めてね」というような事ではありません。

「『何事も誤りはない』という事自体も含めて、何事もあやまりという事はない」
というのは、行きすぎであって、表現に含まれる麻薬に害された考え方です。
本末転倒といってもよろしい。麻薬でなくて欠陥と言っても毒と言ってもよい。

つまり、何かの積極的考え方を表現するためのものが「表現」であって、
「表現」自体に考え方が左右されてはならないということです。


ちょいと、横道にそれましたが、

中庸とは、
ある一つのものの見方の価値や効果を考えるとき、それとは違うもの
(対立する必要はなく、対をなすものである必要もない)
と比べながらバランスをとった考え方をとらねば道を誤る
という事でしょう。

一つの価値観で世界を席巻してはならないとも言えるでしょう。
いまのグローバリズムは、世界を席巻しつつあるが故にアブナイ
とも言えるかもしれません。

全体主義は道を過ちました。共産主義も道を過ちました。

そういう意味では多数決というのはよく考えられた手法であるかもしれません。
但し、少数意見に十分に配慮するという前提が付いた場合であり、
大抵の場合になかなかそうは行かない。

ただし、全会一致よりはよほど安全だとも言えるでしょう。
調整を十分に行なわせる作用も全会一致にはある。
ただし、それと同じくらいかそれ以上に
全会一致が形骸化しまい、独裁の大義名分になりはてる危険がある。


中庸

という価値基準、判断基準、行動指針は
経営でも、人生でも、政治でも

まず心に留め置くべき一番の基準ではないかと思います。
posted by しんあい at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 会員投稿